あ…ありのまま、今 読んだ感想を話すぜ!『荒木飛呂彦の漫画術』
というわけでもないですが、
編集さんに薦められて、読んでみました。
荒木飛呂彦先生といえば、知らぬ者のいない少年ジャンプの人気作家。
最近ではファッションブランドGucciとのコラボも手がけ、もはや日本だけでなく世界的にもメジャーな日本を代表する漫画家といえるでしょう。
そんな荒木先生の著した「漫画の描き方」のハウツー本ということで発刊当初からちょっとは興味はあったものの手を出すには二の足を踏んでいたんですが、冒頭のように編集さんが背中を押したので読むことになりました。
なんで薦められたのかっていうと、「この本でも読んでイチから勉強し直せよゴルァ」…と、いう意味ではなく、
(そう思いたい…)
キャラクター論とかが非常によく整理されてるので、特に連載モノを想定した場合、この本の方法を参考のひとつとして作成してもらうと編集会議に出すときにプレゼンがスムースになるので、ということでした。
まあ、もともと興味はあった本なので、いい機会。
かつて漫画の描き方に関する本を現役の漫画家が書いた例としては、石ノ森章太郎の『マンガ家入門』を筆頭に、手塚治虫が『マンガの描き方』を著してて、このテのハウツー本を出すのはまず皆さんトップどころの方々ばかり。もちろん荒木先生も長年にわたりジャンプで先頭の一角を走り続けるトップランナー。それはそれはどの執筆者も綺羅星のような方々。
他にはすがやみつる先生の『漫画で億万長者になろう!』とか。
今でこそ、すがや先生とはご挨拶を交わす程度の間柄にはなりましたが、この本が発行された当時はその書名にかなり立腹していたこともありました。後にご本人から「あれは版元がセンーショナルな題名を、と勝手につけちゃったんだよ」とご説明いただき氷解。勉強熱心で理論派ということも次第にわかってくるにつれ、今ではとても尊敬している作家の一人です。
あとは樹崎聖先生の『10年メシが食える漫画家入門』とか。
10年メシが食える漫画家入門 悪魔の脚本 魔法のデッサン (アフタヌーン新書 9)
姉妹編?「大盛り」というのもあるんですね。あれ? これは読んでないかな…
10年大盛りメシが食える漫画家入門
自分の時代だと、他にはサンデー編集部が出した『サンデーまんがカレッジ』や『作ろう! 同人誌』とか。
…え~と、いちおう自分、これらはすべて読んでます。
まあ読んでてもなんとかかんとか漫画家って肩書は名乗れても、億万長者にも10年メシが喰えてもいないっスけどね(自虐)。
自分なぞは鈴木光明氏の『少女まんが入門』『少女まんがの描き方専科』をいちばんの教科書にして漫画の勉強をしてきたのですが、
少女まんがの描き方専科―あなたもプロになれる (ヒロインブック 6)
とにかく漫画家になりたくてなりたくて、この類いの本は読み漁りました。
こうしたあまたある漫画の描き方本のラインナップに、今回荒木飛呂彦という名が加わったわけですね。
いつだったかTVで荒木先生の仕事場紹介みたいな番組が流れたときに、先生のネームがコマ割りと描き文字しか配置されてないということに驚愕と同時に大いに納得させられたんですが。
(だいたい漫画家って、たぶんいちばん自分が重要だと思ってるパーツをネームでは描くもんだよなぁ、とそのとき理解。セリフ重視ならフキダシの配置とか、絵を重視する人ならしっかりキャラ描くとか)
とはいっても、荒木飛呂彦氏の作風といって思い浮かぶ言葉は「モンド」ということで、とてもじゃないけどスタンダードとは思えない。たいがい、このようなハウツー本を執筆するなら、スタンダード、直球勝負でクセのないフォームの人のほうが適しているのではないか、と思うわけです。
でも、荒木飛呂彦の作風って、直球ではなく変化球、バリバリのクセ球なんでないのォ!?
…と、思ったら、案外本人は「私は王道です」という自覚を持っている、とこの本では記してる。
いやいや、それぜったい勘違いだから。
って思うわけなんですが。
でも、読んでみると確かに荒木氏の理論は極めてまっとうで、
要は、そこをどうやって外し、読者を「あッ!?」と驚かせるか。
そんなことを荒木氏は目指してるのかなあ、と感じました。
よく考えてみれば、スタンダードってことは、最大公約数で森の中に埋もれてしまう、ってこと。
緑の森の中で目立つには、赤い葉っぱでもつけなくちゃ、ぜんぜんその他大勢になっちゃうんですよね。
もちろん奇をてらうだけではダメだし、そんなのだけで生き延びられるぼと甘くもない。
そのためには、基本、基礎の基礎をしっかり体得できてなきゃいけないんです。
まず定石を知らなければ、その定石から外れたことはできない。そういうことです。
この本を読んでいて思ったのは、我が師・ふくしま政美となんだか考え方が似ているなあ、ということ。
ふくしま政美もまた相当におかしな漫画(褒め言葉)を描きますが、あの先生の頭の中では、アレがまったく極く極くスタンダードなこと、なんですよね。
なんだか両者の共通点を発見したようで嬉しい気分にもなりました。
(まあ、あの師匠は感性の人なんで、ハウツー本なんておそらくぜったいに書けませんが…)
荒木先生が漫画の勉強にいちばん参考にしたのが『ヒッチコック映画術』だというのに「へえー」と感心しちゃいました。
言及されている本は映画技法の教科書みたいな本で、自分もいつか手元に欲しいと思いつつ未だ入手していない、ずっと恋焦がれていた一冊。
定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー
ううう、欲しい…。
自分の場合、それの代わりにドナルド・リチーの『黒澤明の映画』という本を参考書にカメラワークや演出技法、カットワークなどをお手本にしてきたので、「なるほどなぁ~」と思ってしまいました。
個人的な「荒木飛呂彦」観を述べさせてもらうと、シナリオの構成が下手。
特に冒頭の導入部でナレーションによる説明を多用したり、という点が多くて、初期の作品についてはいつも忸怩たる思いと共に読んでいました。
(個人的にナレーションによる進行ってキライなんですよ…と言い訳)
それでも『魔少年ビーティー』や『バオー来訪者』はがんばってジャンプスーパーコミックスを集めていたものの、そこまでで読者としては離れていってしまいました。その後『ジョジョ』がヒットしたけれど、既に追いかけるのは辞めてしまっています。
読まなくなったのは、荒木飛呂彦の漫画が、漫画という物にストーリー性を重んじていた自分の考えとは、相性がよくなかったのかもしれません。
ところが、この「なぜ、合わなかったのか」も、この本にヒントが書かれていたので納得。
もともと自分が漫画にストーリー性を求めた原因っていうのは、自己分析すると、おそらく前述の手塚治虫の『マンガの描き方』を幼き頃に読み、感化されまくっていたからだと思うんです。
手塚本人もそれを名言していたと思うけれど、漫画の神様にとって、キャラクターとはあくまでもストーリーを語る駒に過ぎず、そのために手塚の描くキャラクターたちはいわゆる「キャラが弱い」欠点を持っていました。
その欠点を克服するために「スターシステム」を考案したのはよく知られた話。
ところが、荒木氏はこの本で「キャラクターがいちばん大事。ストーリーなんてなくていい」と極論を語ります。
え~と、それって手塚理論の真っ向からの否定ですよね…
手塚賞準入選でデビューした荒木飛呂彦氏が手塚にNOと言ったことは、ちょっと衝撃でした。
と同時に、伊藤剛氏が著書『テヅカ・イズ・デッド』で述べていたように、この日本漫画界は余りにも手塚治虫の亡霊、というか呪縛から逃れられなかったために、かえって発展が遅れてしまっていったのでは…というような仮説が、ここでまた繋がっていきます。
じっさい、少年ジャンプが起こした週刊連載のスタイルは確実に社会現象も招くヒットを連発しているけれど、そのスタイルは「ストーリー重視」「キャラクターはあくまで駒」という手塚の主張とはまるで相反するもの。
ジャンプの連載陣にあって、キャラクターこそが漫画を動かしていき、ストーリーはいつ終わるとも知れぬ果てのない闘いが続きます。
結果破綻も多いけど。
手塚治虫が没して既に四半世紀。もう、手塚というお釈迦様の掌から悟空は飛び出すべき、と暗に言っているのかも。
手塚賞でデビューした荒木氏のこの言葉は、その呪縛から逃れる鍵のひとつとなるのかもしれません。
とはいえ、それでネクスト・スタンダードがどこにあるのか、果たして荒木理論こそがスタンダードになっていき次の50年の漫画史を変えていくのか。
それはわからないし、たぶん自分がその50年後の漫画界を見れることはないんですが。
荒木氏にしても「これは王道について書いた本だが、ここで書いていることが王道とは限らない」というまるで魔少年ビーティーの謎かけかパラドックスのようなことも書いてたりするし。
ともあれ、この本は、これから漫画家を目指す人だけでなく、漫画を生業としている人も、これを読むとちょっとだけ頭の整理ができていいかもしれません。
意外にも荒木先生って、簡潔で読み易く、いい文章を書くんですね。
さて、自分もこれを参考に連載の企画書作るかな…
でも、プロを目指すなら、いちばんいいのは漫画家のアシスタントになることだと思うよ。やっぱ。
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (星海社新書)